1997年「神々の指紋」という本で話題を呼んだイギリス人のグラハム・ハンコックという人がいます。ウィキには「神々の指紋は嘘だらけの本である」というような事が書いてありますが、これはディープステートによるディスインフォメーションです。ハンコック氏はその後も世界の古代文明を調べ続け、沖縄の与那国島近くにある海底古代遺跡も、80回ほど潜水して調べたそうです!
同氏がネットフリックスで、大変興味深い古代文明追求シリーズ「Ancient Apocalypse 古代の終末」を公開しましたので、ご紹介します。
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BC9600ごろ、氷河期が終わり、狩猟採集文化が始まった。しかしある時点で人類は突然農業を始め家畜を飼い始めた。そしてBC4000、最初の文明が現れたとされる。
しかし最初の文明はもっともっと古いのだ。その証拠の一つが、私(ハンコック)が訪れたインドネシアのジャカルタから車で4時間の村に存在する。
その村にある遺跡をハンコックが訪ね、地元の考古学者の話を聞く。
この遺跡は山の上にあり、グヌン・パダンGunung Padang と呼ばれ、地元では信仰の対象となっている。↓
上から見ると、玄武岩が散らばっているだけに見える。インドネシアは火山国なので玄武岩が普通にあるのだ。↓
しかしよく見ると玄武岩は人為的に切断されていることが分かった。山上に建物や部屋があったことが判明。石垣も作られている↓
インドネシア国内の考古学者は2012年からこの遺跡を調べ始めたが、はじめはせいぜい2500年前程度の遺跡だと考えていた。
しかし散らばっている5万にも上る玄武岩は他の場所から、山上に運搬されたことが分かった。それぞれ1トンもある。
遺跡は層になっており、一番浅い層はBC500年ごろのものだった。しかしもう一つの層は BC5200年にさかのぼった↓
人骨は見つかっていないので、墓などではなく、儀礼をおこなう場所だったのではないかと推測される。
7000年前というと、この地方ではまだ人々は狩猟採集を行っていた。
しかし発掘が進み、更に驚くべきことが分かった。これは失われた文明の残遺物ということが。
石垣となっている玄武岩と玄武岩の間に、モルタルが塗られている↓
実はグヌン・パダンはこういう場所だったかもしれないという復元図↓
つまり階段型ピラミッドだったのだ。それにしても狩猟採集していた素朴な人々が
こういうものを建てたのか?
世界で最も古いピラミッドはペルーのカラル・スぺでBC4700年ごろとされるが、グヌン・パダンはそれより古い。
インドネシアの考古学者は遺跡の地中を、最新機器で調べた。そうすると地下にこういう
部屋があることが可能性として成り立った↓
一番深い場所で地下30メートルになる。
さらに地中を掘削機で調べると
BC9600年の時代になることが分かった。これは氷河期の末期となる。
さらにもっと深く掘削すると、BC22000年ごろの発掘物が出てきた(土砂など)
これは、今までの考古学の常識を覆す発見である。問題は主流の考古学会が、こういう証拠を見ようとしないことだ。
さて2万年前、インドネシアの地形は全く違うものだった。
現在の地形↓
2万4000年前、海の水位は今よりもっと低く、インドネシアは地続きの亜大陸だった↓
スンダランドと呼ばれる。
グヌン・パダンを建てたのは、スンダランドの近くにあった文明から来た、先進的な人々だったかもしれない。
BC12800年から11600年の間に、氷河期が終わろうとしたときに海の水位が急上昇し、スンダランドも飲み込まれた。このように、洪水神話が世界中にある。聖書のノア、インドのマヌ、シュメールやバビロニア、中国、ギリシャなどだ。
この洪水は実際に起こったもので、人々の記憶に何千年に渡り受け継がれてきたものだと、私(ハンコック)は思っている。
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エピソード1は以上です。
一般的には、氷河期が終わった理由は地球の気温が急上昇したから、ということになっていますが、可能性としては巨大隕石が地球に衝突したと言われています。そのためにアトランティス文明もレムリア文明も大洪水に飲み込まれたというのです。
洪水から再出発した人々…世界には創世神話が沢山ありますが、日本にもあります。
ご存じとは思いますが、おのころ島は淡路島のことです。
教科書や一般常識と違い、世界文明の歴史はもっともっと古いと思われます。
そもそも学校で習ったことや一般常識は、かなり間違っていることが多いのです。
これからもその矛盾を追求していきます。
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