タイミングがずれましたが、12月7日は真珠湾攻撃の日でした。
米政府は事前に分かっていながら開戦したいがために防御しなかった、という話を知っている方も多いと思います。
今日のレポートはこの本をベースにしています↓
1999年出版、著者はRobert Stinnet ロバート・スティネット というジャーナリスト。↓
レポートを要約します。
1941年12月7日、日本帝国海軍の戦闘機はハワイ・オアフ島の真珠湾で米艦隊を奇襲攻撃し、米兵3000人以上が死傷した。これを受けて米は日本に宣戦布告した。当時のルーズヴェルト大統領(以下FDR)は事前情報は全くなく、現地海軍が攻撃予兆を見過ごした、と発表した。しかし攻撃そのものは、米の最高レベルによって巧みに手配され実行されたものだ、と著者スティネット氏は主張する。氏は20万点もの資料とインタビューで証明している。
1940年に、この軍人↓がFDRの側近にメモを送っている。日本に米を攻撃させるには、8つのポイントが重要である、と書いている。
8つのポイントは
A シンガポールなど太平洋地域の英基地を、米軍が借りる
B オランダ領東インドで基地や物資を使わせてもらうよう、オランダと交渉する
C 蒋介石率いる中国国民党政府にできるだけ支援をする(味方にする)
D 米の長距離大巡洋艦をフィリピンやシンガポールなどのアジアに送る
E アジアに潜水艦2部隊を送る
F ハワイ近くの太平洋域に米艦隊の有力部隊を置く
G オランダが、原油などの必要物資を日本に供給しないようにさせる
H 英国が日本との貿易を禁止したように、米の日本との貿易を完全に禁止する
その後、米は極東に滞在する自国民に国外脱出を呼びかけた。FDRはハワイで訓練中の海軍にそのまま残るよう命令した↓
しかし海軍トップは、武器や人員の不足を理由に渋ったが、結局従った。
FDRは自ら、大巡洋艦隊をハワイに送るよう直接指令した。日本を刺激したら米の1隻か2隻を攻撃するかもしれないが、5艦隊送れば大丈夫だろう、と言った。米海軍トップは、それをすると戦争になってしまう、と反対した。
巡洋艦↓
戦争を起こしたくない海軍のトップ↓
FDRは「遅かれ早かれ日本は米国を攻撃するだろう。そうすれば我が国も戦争に進むことができる」ということを言った↓
米は禁輸にしておきながら、日本が戦争に必要な920万バレルの原油は日本に輸出した↓
また、米は早い段階から日本の通信文だけでなく暗号の解読もしていた。
1940年秋には、暗号解読チームが日本の無線コードを読みとっていた↓
無線コードを解読して、山本五十六海軍大将が、1940年(真珠湾前年)に、日本海軍2部隊がハワイを目標とするよう指示していたのも分かっていた。この事実は長年米で秘密にされた。
米は、ハワイに日本人スパイ(特務員)がいるのも知っていた。ハワイの日本公使館に勤務した特務員モリムラ・タダシ↓
別のスパイの日系人がハワイで真珠湾の下調べをしていたことも分かっていた↓
モリムラが送った暗号文はその日に解読されていたが、日本にとってハワイを攻撃するチャンスが十分ある、というその内容は米政府内でも秘密にされた↓
日本は真珠湾攻撃を、1940年の秋から計画した。左・及川古志郎海軍大将、右・山本大将両者↓は、真珠湾の奇襲で一致していた。しかしこの情報は日本海軍の士官から、在東京米大使館を経由して米国務省に漏れていたのだ。
1941年1月、真珠湾の11カ月前、国務省スタッフが東京の大使館ルートから聞いた話として、日本軍が真珠湾を攻撃しようとしている、と国務長官にレターを送った↓
しかしその警告は無かったことにされた。
結局、真珠湾攻撃が実行され、狙い通り開戦し、義憤に燃えた米国の青年たちは自ら軍隊に入隊していった。
以上です。
真珠湾も911も今回のイスラエルも、事前に情報は沢山入ってきていました。
しかし戦争はボロ儲けのチャンスですから、軍産複合体や金融マフィアが警告を握りつぶしたのだと思われます。
悲しいかな、これが現実です。
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