5日前のニュースですが、ウクライナ問題でEU議会を訪問中のカナダのトルドー首相に、2人の議員から激しい批判が浴びせられました。
批判を展開した一人は、上の写真左、ドイツ人でEU議員のクリスティン・アンダーセン女史です。
この人は政治家としては珍しく、ワクチン強制に反対した発信を沢山しており、トルドーの強圧政策も批判しています。女史の、権力濫用への歯にきぬ着せぬ明快な主張と、ワクチンで困っている人たちへの応援ビデオが出回っています。こういう人がもっと政府にいてくれたらいいのに、と思わせる人です。
さて、EU議会でトルドーの面前で、女史は怒りで声を震わせながらスピーチしました。
カナダの平和なトラッカーデモ参加者に対する銀行口座凍結、不法逮捕、長期拘束などの強圧措置を取ったトルドーに対してこう言っています。↓
アンダーセン議員、応援しています、これからも頑張ってください。
欧米高齢者多数死亡の本当の原因
一昨年、コロナ禍の真っ最中、欧米の介護施設の高齢者が何十万人死亡というニュースが毎日報道されました。
やはり高齢者は体力が無いから感染に弱いんだ、という印象を与えたものでした。しかし段々真実が明らかになっており、どうも意図的に注射した薬が原因のようです。人口削減です。
↑1時間6分くらいからそのトピックになります。これはイギリスの報道です。
↑施設や病院によるその鎮静剤の消費が、コロナ中はいつもの2倍だった。
死刑囚が刑の執行前に暴れないよう、注射する鎮静剤があるそうです。ミダゾラムといい、その注意書きには「呼吸器トラブルがあれば投薬しないよう」明記してあるそうです。
イギリス政府は、コロナが始まる6カ月前に通常の100倍のミダゾラムを発注したもようです。そして健康医療組合が、これを使用するよう病院に指示を出したらしいのです。
支配勢力がまず高齢者から人口削減をするという、確信犯としかいいようがありません。
体制側や政府が自国民を大量殺戮することを、デモサイド(democide)といいます。demoはデモクラシーと同じ、民衆のこと、そして cide はhomicide (他殺)や suicide (自殺)と同じ、殺すという意味です。
一昨年は高齢者のデモサイド、そして去年と今年は若い人のワクチン死亡が激増しているので、若者のデモサイドが行われたということになります。全て計画的なのです。
高齢者デモサイドの線引きは何歳か。
日本で後期高齢者保険というと、75歳から窓口で1割の個人負担となり、結果的に負担が増えることになります。
75歳の誕生日を前に「後期高齢者医療被保険者証」と記された新しい保険証が手元に届きます。なお、世帯主の保険が切り替わった時点で配偶者が75歳未満の場合、後期高齢者に該当しない配偶者は新たに国民健康保険に再加入する手続きをしなくてはなりません。
後期高齢者医療制度による最大の変更点は、財源の一部を75歳以上の高齢者が負担することになったことです。従来の老人保健制度の財源は、公費が50%、国民健康保険と社会保険からの支援金が50%で成り立っていましたが、後期高齢者医療制度では後者(国保と社保からの支援金)の負担割合を40%に減らし、削減した10%を75歳以上高齢者の保険料で割り当てることになったのです。
これについてはアメリカでも75歳という線引きになっています。
偶然でしょうか。そうではないと思います。世界を支配するエリート勢力は、日本にも
海外と同じ政策を導入させることが多いですから、ある意味国際的基準なのです。
つまり、75歳以上生きてもらっては困る、そのために保険料負担を多くする、ということだと思います。人口抑制です。
あるアメリカの有名学者が、「何故私は75歳で死にたいか」という雑誌記事を書いています。この人はまだ60歳代前半です。
超要約をしますと、昔に比べて寿命は長くなったが、健康寿命は短くなった、身体に不便を感じながら長生きするのは嫌だし家族にも迷惑をかけたくない、年取ったら何もいいことはない、75歳になったら安楽死はしないけれども病気の治療はしない、というものです。
この学者は生命倫理学(bioethics)の専門ですから、ある意味優生学思想や人口削減論を推進する立場です。
こういう記事で世論誘導するわけなのです。
寿命は人によって決められていると思います。人間は魂の存在で肉体はその単なる容器です。
当方はそのようなスピリチュアリズムに関して、国内外の多くの本を読んで研究しました。
魂は基本消滅しませんから、何万年以上の間に数百回生まれ変わります。何故生まれ変わるかというと、修行のため、そして人間関係や過去の行いを含めたカルマを清算するためです。
人は生まれる前に、大体の人生の大まかな道のりを決めてきます。寿命もその中に入っており、若く亡くなる場合もあり長生きする場合もあります。決めた通りにならないこともあります。
つまり何歳で亡くなるかは、それぞれが決めたこと(生まれてからは忘れています)ですから、他人がどうこういう事ではないのです。
そういうことは、支配勢力は一切考慮しませんから、「75歳で死ね!」ということになるのです。
そして現代人は、人の一生は死ねば終わり、と考えがちですが、そういう風に考えるよう誘導されてきたのです。昔の人の思考と最も違う点は、死後の世界などない、生きている間に楽しむしかない、という刹那的発想でしょう。
ぽっくり往きたいのは誰しも同じですが、75歳などという線引きだけは勘弁です。
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