あなたが生まれた年の数字にはどんな意味があるのか。有名ヒプノセラピストが発見した法則とは(2025年12月14日公開)
- chibamai
- 2 分前
- 読了時間: 5分

コーパイによりますと
ドロレス・キャノン(Dolores Cannon、1931-2014)は、催眠療法と前世療法の分野で知られるアメリカの作家・ヒプノセラピストです。彼女は「量子ヒーリング催眠療法(QHHT)」という独自の手法を開発し、多くの人々の潜在意識にアクセスして、前世の記憶や魂の目的、宇宙の真理についての情報を引き出すことを試みました。
ーーー
ドロレスは、生年の数字 birth year digitの一桁にはそれぞれその人の過去世が秘められていることを、ヒプノセラピーから何十年かけて研究しました。その動画をまとめます。
ドロレスは、過去世が今世にもたらす影響について、画期的な理解をもたらした。それは固有の数字が持つ波動だ(Numerical vibration)。生年月日の数字を見れば、 その人はなぜそういう人なのか、がわかる。
ドロレスが「評議会 Council」と呼ぶ、スピリチュアルな役所のようなものがある。世界や人の人生で起こるシンクロニシティを指揮している。(注:「中間世」を明らかにしたマイケル・ニュートン博士も同じことを言っている)
ドロレスは何十年も生年月日の数字の意味を研究した。人は宇宙における、数字が表すそれぞれの「教室」に生まれてくる。それは過去の行いの罰などではなく、成長と癒しの機会を提供する教室だ。Opportunities for growth and healing
生年の一桁目(例、1970年であれば0)を見れば、その人の今世における深い意味が分かる。人は何回も生まれ変わることによって、魂の在り方を学んでいく。生年の一桁目で、その人がどういう人か、そして何故生まれ変わったのか、魂は何を達成しようとしているか、の大体の検討がつく。人は、人間関係だけでなく仕事や才能、これらも過去世から引き継いでいる。
ドロレスは同じ年に生まれた人の87%が同じような過去世を共有していることを発見した。
これらのパターンは、「評議会」や宇宙の法則(カルマ)が関係している。
生年の一桁目が表すものは
0: 何かの完了、スピリチュアル的覚醒または新しい周期の始まり。Completion, spiritual awakening, or the beginning of a new cycle.
1: リーダーシップ、独立自立、新しい始まり。 Leadership, independence, and new beginnings.
2: ハーモニー、パートナーシップ、繊細な感性 Harmony, partnership, and sensitivity.
3: 創造性、コミュニケーション、喜び。 Creativity, communication, and joy.
4: 安定性、構造物、規律正しさ。 Stability, structure, and discipline.
5: 変化、自由、冒険。 Change, freedom, and adventure.
6: 責任、育成、奉仕。 Responsibility, nurturing, and service.
7: スピリチュアリティ、内省、知恵。 Spirituality, introspection, and wisdom.
8: 力、豊穣、熟練。 Power, abundance, and mastery.
9: 慈愛、完結、無償の愛。 Compassion, endings, and universal love.
ーーー
ドロレスは、例えば生年一桁目が3の若者が芸術家希望だったり、7の女性が転職してセラピストになったなどの多くの共通点に目をつけました。
全く私事で恐縮ですが、当方の生年一桁目は 1となります。ドロレスによると1の人は過去世で、権威のある高い地位についていたそうです。「何らかの戦士団の族長、軍の将軍、あるいは革命の指導者だったかもしれない。You may have been a warrior chieftain, a queen or king, a military general, or a revolutionary leader. 」
それが、ドンピシャかもしれないのです。当方は評判のしっかりした蒼色庭園というスピリチャルサイト 【宮崎市】タロット占い、お祓い(除霊)、守護霊、過去世(前世)の店、スピリチュアルサロン「蒼色庭園」で過去世を有料で見てもらったことがあります。
当方は20以上の過去世を把握していますが、こういうケースがありました↓
舞さんの過去世のひとつには300年くらい前、中東の女王の過去世があります。
亡き父の国王の跡を継いで、女性ながらにして国を治めていたようです。
その女王は知識が豊富で外交もでき、乗馬や狩りもできる有能な人でした。
精悍なお顔立ちはクレオパトラのように凛々しく美しかったようです、
子どもや女性が生きやすいような政治をして、孤児院や病院をたくさん建てたようです。
インフラ整備にも力を入れ、他国からの侵略にも備えることのできる優秀な指導者でした。
晩年まで国民を導き、最後は息子さんに跡を継がせたようです。
残念ながら今世の当方は、美貌も権力もない、平々凡々な一般市民です。
若いころは中近東を幅広く旅行しましたが、デジャヴ(既視感)を何回か起こしています。過去世でここに来たことがある!という感覚です。トルコのサフランボルにある野原で、そしてイエメンの中世さながらのバザールでデジャヴがありました。
イエメンのバザール、こんな雰囲気↓

実はイエメンには1000年近く前に、女王がいたことが分かっています、300年前とは違いますが。コーパイ↓
アル=サイーダ・アル=フライダ(Arwa al-Sulayhi)
在位:1067年〜1138年頃
正式な称号: Sayyida Hurra(アラビア語で「自由な貴婦人」「女領主」の意)
王朝: スライフ朝(Sulayhid dynasty)
首都: ジブラ(現在のイエメン中部)
🌟 彼女のすごさ
アルワ女王は、イスラム世界で唯一「正統な支配者」として認められた女性のひとり。
夫アフマド・アル=ムカッリが亡くなった後、単独で統治を続けた。
ファーティマ朝(エジプトのシーア派王朝)から「ハッジバ(代理統治者)」として正式に任命され、宗教的・政治的権威を持った。
彼女の治世下で、スライフ朝は文化的にも経済的にも繁栄し、特にジブラは学問と建築の中心地となった。
🕌 宗教と政治の両輪
アルワ女王はイスマーイール派シーア派の信仰を持ち、宗教指導者としても尊敬されていた。
彼女の名前は、金曜礼拝の説教(フトバ)で読み上げられるほどの地位を持っていた。これは、イスラム世界では極めて異例のこと!
🏛️ 遺産と記憶
彼女が建てたアルワ・モスク(ジブラ)は、今も現存していて、イエメンの重要な歴史的建造物のひとつ。
現地では今でも「アルワ女王」として語り継がれていて、女性のリーダーシップの象徴的存在とされている。
自分がこの人だったかどうかはわかりませんが、何ともロマンがあります。
当方の今世は未来から振り返ると、平凡な一般人と位置付けられるかもしれませんが、それでOKだと思っています。
人は皆、沢山の過去世を持っていますから調べてみるのも面白いです。