おそろしや、まだ生きている「脳死」体が実験に使われているー米独立系メディア(2026年7月16日公開)
- chibamai
- 3 時間前
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臓器提供において「脳死」と判断される基準がいかにでっちあげか、そして臓器提供が
巨額ビジネスになっていること、臓器が移植だけでなく実験に使われていることを今まで
とりあげました。
直近の独立系ニュースです。
コーパイ和訳を分かりやすく手直ししました。
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最近のポッドキャストで、生命倫理学者の アーサー・キャプラン は、重度の障害を負った人々を研究に利用する手法を自分が開発した、と誇らしげに語った。キャプラン博士によれば、彼は 「ネオモート=新型死体」 と 「バイオエンポリア=生体実験センター」 の概念を、ある論文で知ったという。
その論文は、脳死の危険性を指摘する、本来皮肉な内容だった。神経が損傷した(植物状態の)ネオモートを集めて、バイオエンポリアで好きなだけ実験できるのではないか、と示唆していた。その風刺的な文章にはこうある:
以後の議論では、従来の意味での死体は「解剖用遺体」と呼び、新しい死体は「ネオモート、新型死体」と呼ぶことにする。これを維持する「病棟」や「病院」を「バイオエンポリア、生体実験センター」と呼ぶ…従来の死体で可能なことが、ネオモートでは信じられないほど増える…気が進まない医学生でも、通常の身体診察——聴診、胸部の打診、眼底検査、直腸・膣の診察など——を練習できる…ネオモートは、現在囚人や知的障害児、ボランティアに対して行っている薬剤や外科的処置の多くの試験に利用できる…明白な実験としては、まずネオモートに病気を誘発し、その治療法を試すことが挙げられる。毒物を注射して解毒剤を試し、がんやウイルス感染を誘発して新しい治療法を検証・比較することもできる…
キャプラン博士は、その論文が脳死批判として書かれたものであることを知りつつ、学生時代に大いに触発されたと語る。
キャプラン博士によれば、ニューヨーク大学にはすでにバイオエンポリアが存在し、国内各地で同様の施設が続々と立ち上がり、「脳死」と診断された人々が薬剤試験やその他の研究に利用されているという。キャプラン博士はポッドキャストで、脳死と診断された人々は生物学的には死んでおらず、彼らの「死」は社会的概念にすぎない——だからこそ生命維持装置で実験に耐えられるのだと認めている。
脳死者の家族が、医師が実験の「同意」を得る際に、本人は「社会的に死んだだけ=まだ生きている」と知らされている可能性は極めて低い。臓器提供者が感染症などで臓器提供できない場合、医師は家族に「生命維持装置につないだまま、いくつか検査をさせてほしい」頼むことがある。キャプラン博士はこう述べている:
私たちはまず、家族にこれは人工臓器や免疫抑制薬などを研究する、移植医療の進歩につながると伝える。家族が同意すれば、72時間だけ預からせてほしい、と。すると多くの家族が同意した。
それでもキャプラン博士はかつて、脳死と宣告された少女の両親が生命維持を望んだ際に、彼は「人工呼吸器につないでおくことは遺体の冒涜にあたる」と書いていた。
「脳死」と宣告された人体(生物学的には生きているが法的には死者とされる)は、長らく優れた実験対象として知られてきた。遺伝子改変した豚の肝臓や腎臓を移植する異種移植実験では、こうした脳損傷患者が利用されてきた。彼らが生理的に非常に安定しているからこそ、生命維持装置につないだまま数週間から数か月にわたり、動物臓器の反応を評価できるのである。実験が終わると、その人は最終的に命を絶たれ、遺体は病理部門へ送られ、さらに肉眼・顕微鏡分析が行われる。
昨年、科学者たちは人工子宮で育てる人間クローン「ボディオイド」を研究目的で作るという提案をしたが、あちこちで批判された。しかし、ボディオイドはもう必要ない。ネオモートの在庫が十分なバイオエンポリアで、こうした実験は今日、実際の人間を使って行われているからだ。
上記の皮肉論文で、著者は、神経障害の人々を使った実験という発想に。社会が嫌悪感を抱くことを予見していた。著者は1974年の論文を次のように締めくくっている:
(こういう実験では)利益が明白で、他者の命を救う可能性も明らかで、人道的目的もある。技術が存在し、動機は純粋で、物的コストも正当化される——それでも、私たちはこの嫌悪的感情をどうすればよいのか。手足や肝臓や腎臓やコストの貸借対照表のどこに、この取り組み(生体実験)が生み出す嫌悪感を記載すればよいのか。コスト分析は、費用と利益が別々の領域で表されるとき、最も不満足なものとなる。つまり利益が具体的で明白である一方、コストが精神的・抽象的・未来的であれば(生命という深い世界が関わるから)、その分析は歪んでしまう。こういうコスト分析は、人が人間としての自由や誇りを手放し、尊厳をも手放すことを誘う…生命を維持することは非常に重要だが、その手段が生命の価値そのものを破壊するのであれば、話は別だ。
脳死と宣告された人々は死んでいない。彼らは「ネオモート」ではなく、人間である。生物学的に生きている人間を実験に利用している現実を暴き、終わらせるべきである。これは重大な倫理的冒涜である。
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結局、近代哲学が生んだ「唯物論 materialism」や「実証主義 positivism」がどんどん
膨れ上がって世界を席巻し、人命軽視につながっていると思います。
人間は物質であり、魂など存在しない・・・こういう考え方が多くのビジネス分野にいきわたり、当然製薬・医療ワールドにもはびこっています。
カネカネカネが全てを支配する現状となり果てています。



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