旧日本軍が集めた「山下財宝」は都市伝説でなく実在した。財宝から生まれた「M資金」の争奪をめぐって1975年に某元首相が毒殺された可能性。(2025年8月17日公開)
- chibamai
- 8月17日
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今回は長くなります。
先日、自民党は戦後CIAが設立したことを書きましたが、M資金の話が出てきました。
M資金のMは占領軍にいたマーカットという人の頭文字だそうです。
占領軍経済科学局長 ウィリアム・マーカット
当方のキンドル自己出版本「ETが気づかせてくれた地球の真実」から少し手を加えて抜粋します。
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1945年10月に、アメリカの情報部員数人がフィリピンでの日本軍による財宝のありかをつきとめ、秘密裡に当時数十億ドル相当の金、プラチナ、文化的遺産、宝石の原石などを運び出した。
場所が分かった経緯はこうだ。財宝のことを噂で聞き及んでいた米軍は、山下将軍の運転手を務めていた軍人を拷問し、宝の隠し場所について口を割らせたのである。前代未聞の巨額財宝の情報はGHQのマッカーサー将軍、そして本国のトルーマン大統領にも伝わる。トルーマンは全財宝の回収を決定したが、あくまで国家機密にさせた。
この日本軍の財宝の他に、ナチスがヨーロッパで強奪して回った宝物がアメリカなどによって回収されていたが、それらは全てアメリカによる対共産主義の活動資金ファンドと
なった。(この資金は日本では、アメリカによる戦後自民党の選挙工作にも使われた)
その後日本軍とナチスの財宝を、アメリカで 黒鷲ファンド(Black Eagle Trust)として運用することが、1944年のブレトン・ウッズ会議で秘密裡に検討された。
1945-47年に黒鷲ファンドの金やプラチナが、アメリカによってスイスの銀行に預け入れられた。
1990年代の時点でも、この金塊が米・シティバンクの地下金庫にあることが確認されている
日本では当然山下財宝の事実は秘密にされてきたが、アメリカでも同じである。1945年の時点で、噂になっていた巨額財宝の事実を米政権は必死に否定した。
そしてこの財宝がカネを生み、それは日米の権力者や政治家の懐に入り、また都市伝説となったが実在するMファンド(M資金)なども生み出すこととなる。この本では、闇の世界にも財宝のカネが回り、M資金の他に57ファンド、ヨツヤ(千代田区四谷)ファンド、キーナンファンドを、占領時代のアメリカが管理していたことも説明している。
財宝全体の価値は想像を超えており、数百兆円に上るという研究者もいる。当然そのカネ
は今でもどこかに存在し、秘密裡に利用されているのだ。
そもそも、各国で強奪した財宝を勝手に流用しているアメリカと日本の責任はどうなるのか?各国に返還するのが当然ではないのか?
戦後は、このカネはマーシャルプランや世界の対共産主義活動、日本では自民党の選挙工作などに使われたということだが、いったい現在は何に利用されているのか?
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当方の本からは以上です。
M資金について、内藤晴輔さんがこう説明しています。
「天皇家の資金はアドレノクロム、麻薬、さらにもっと大きいのはいわゆる還付金と呼ばれる秘密資金。57債券という戦後の闇資金があり、100兆円に上る。M資金と呼ばれるものもあるが、正式にはMSA資金という。戦後、皇室はアメリカと話し合って資金を半々に山分けした。大蔵省理財局はその管理のためにつくられた。」
当方の本で参照した書籍は、絶対に日本では出版できない、綿密に調査されたヤバネタだらけの凄い内容の「Gold Warriors=金の戦士」です。

著者は東アジア史専門の米国人研究者、Sterling Seagrave と妻のPeggy Seagraveです。両方とも2016年、2017年に亡くなっていますが、夫妻はこの本を出版した後、命を狙われしばらく雲隠れしたそうです。
今回は、あらためてこの本のオンライン版をキーワード「M Fund」で検索していろいろ拾ってみました。やはり世間で知られていない内容が沢山です。抜粋した画像を、資料として下部に貼りました。
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- 1979年に週刊文春がM資金を取り上げたことがある。山下財宝を売った金は日本政府の役人や政治家に流れた、と書かれた。日本銀行にあった80万カラットのダイアモンドが一気に目減りしたのだ→資料1 
- 旧日本軍は中国やフィリピンなどの東南アジアを占領したが、多くの資源(金やその他)を持ち帰った。米占領軍マッカーサー将軍はそれらを日本の再建に使わせようとした。しかし国民に知られてはまずい魂胆もあるため、財宝の事実を機密扱いにして、政党や政治家への裏金に使った→資料2 
- 終戦後の地下資金に絡んでいたもう一人は児玉誉士夫だ。彼はダイヤ、金、白金、ラジウム、銅などの財宝から個人的に130億ドルを着服し、終戦時に皇居の金庫に移していた。児玉は殺人・誘拐・麻薬売買・恐喝などを行った人物だが、財宝のおかげか昭和天皇は彼を高く評価した。皇室の金庫にはこのような黒い連中の財宝や麻薬が隠された→資料3 
- 一方、岸はアメリカの都合の良い操り人形となっていた。岸を自民党総裁・首相にする工作資金として、アメリカはM資金をばらまいた→資料4 
- CIAがM資金を使い、自民党内部に相当のカネがばらまかれて岸の自民党総裁としての地位が確立された。 
- 1960年、当時副大統領のニクソンは日本が自分の選挙資金を寄付した見返りに、M資金を日本に返還した。それ以降、M資金は自民党の七奉行(後述)が仕切った。→資料5 
- ポイントは、ニクソンがM資金を日本政府でなく岸信介個人に返したことである。岸はM資金から1兆円着服した。 
- 岸の首相任期中(1957-1960)にM資金から、自民党は毎年1000万円(現在だと1億以上に相当?)をもらっていた。足りなくなると岸の実弟・佐藤栄作がアメリカにおねだりした。やがて1960年日米安全保障条約で、M資金は正式に日本の管理下となった。 
- 岸は首相退任後も自民党のキングメーカーとして暗躍した。1960年以降、すべての首相は岸とそのグループが選んだ。彼らはM資金からカネをばらまいた→資料6 
- M資金を仕切ったグループはMaginicent Seven(七奉行) と呼ばれ、岸信介、田中角栄、竹下登、中曽根康弘、宮沢喜一、後藤田正治を指した→資料7 
- 特に頭の良い田中角栄は1960年代から1986年まで、M資金を個人的に管理した(金権政治)。 
- M資金をめぐって死人も何人か出ている。佐藤栄作首相(1964-1972) は1975年に死去したが、M資金の支配を角栄と争って毒殺されたと見る人も多い。 表向きは脳溢血で突然倒れたことになっている。しかしこれがスキャンダルに発展しないよう、佐藤の未亡人にM資金から3000億円渡されとされる。他にも病院で殺された関係者がいる。日本では暗殺されたくなかったら入院しないよう勧められる(やはり!)→資料8 
- M資金に紐ついた57回国債というのがあった。これは公式発行されず金持ち対象だけに発行した偽の国債。田中角栄が関与、第一勧業銀行が管理していた。 
- 金丸信はM資金で私腹を肥やしたのち、匿名で保有できる債券に乗り換えて財産を隠した。 
- この本にはM資金をめぐって小佐野賢治や中曽根康弘の名前も出てくる(昭和黒政治のオールスター!) 
- 昭和天皇は占領軍の資料によると、戦前から海外の口座に、10億ドル相当(戦後の1ドル360円で換算すると3600億円)の金や通貨を隠し持っていた。占領中、それら資産から毎年5000万ドルの金利収入を引き出していた。→資料9 
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この本で、日本は民主国家とは思えないほど裏の世界の恐喝や恫喝・殺人が行われている、という下りが印象に残りました。確かに政治家も多く暗殺されています。
ところで、天皇は何で3600億円も資産があったのでしょうか。戦前日本軍はあちこちで財宝を集め、それが一部分あるいは大部分皇室に渡ったのは想像に難くありません。
しかし満州国で日本はアヘンを栽培していたことを、当方は恥ずかしくもGold Warriors で初めて知りました。
日本の研究者もそのことを指摘してしています。
コーパイ↓

これは当方の推測ですが、英の19世紀「アヘン戦争」で英王室がぼろ儲けしたのを、皇室が見習ったのかもしれません。
さてGold Warriors には他にもネタがありますが、又の機会に・・・
資料1

資料2

資料3

資料4

資料5

資料6

資料7

資料8 二行目 Many Japanese believe Sato was poisoned・・・・

資料9

END