ここが変だよ日本人!年齢気にしすぎ、若見えへの執着。これは戦後の愚民化工作が原因。幼さを外人に笑われていることに気付こう!中身を磨こう!(2026年9月13日公開)

今日は別の記事をアップする予定でしたが、たまたま当方の誕生日に当たるため、年齢とは?について思いのたけを吐露させていただきます(笑)。
当たり前のことですが、年齢は単なる数字であります。そこに人間の優劣・人生の意味などは存在しません。全て、愚かな人間が年齢に余計な意味を持たせ、自分たちを小さな箱に閉じ込め、一喜一憂(「10歳若く見えるって言われたの!」結構ありがちです)させるために作られた幻想です。
「若さ」が重んじられるようになったのは、近代思想の影響で人々が「死」を恐れるようになったからです。
ところが当ブログで散々アップしてきたように、死後も我々の意識は生き続けますし、生前の行いを反省する仕組みが存在します(ライフ・レビュー)。若見えにこだわるあまり、良き本を読んだり、自分の中身を磨くという行為を忘れたままあの世に行くと、「一体自分は何してきたのだろう」と後悔することになります。
なぜ日本人は異常に年齢にこだわるのか。日本メディアの事件報道では、被害者や犯人の名のあとに、必ず年齢がカッコに入っています。年齢が識別子になるからです。
歴史上、庶民は名字を持たずに生きてきましたが、明治になってからすべての国民が姓を持つようになりました。コーパイによると、
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日本で姓を持つことができた人は、時代によって明確に違う
古代:豪族・氏族の上層だけ
平安:貴族(公家)だけ
武士の時代:武士階級が名字を持つ(庶民は公的使用不可)
江戸:武士・公家のみ公的に名字を持てた。庶民は私的には使用できた
明治:全国民が名字を持つ(義務化)
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江戸時代、ナントカ村のナンザエモンさんは名字を名乗れないため、年齢で特定するしかなかったはずです。ナンザエモンさんは複数いたかもしれないからです。
そうやって、ある人の年齢=その人のアイデンティティ という社会的基盤が育ったのではないでしょうか。
例えば誰か新しい知り合いができると、相手はまずこちらの年齢を探ってきます。日本は儒教の影響が大きいため、年上か年下かで言葉遣いを変える必要があるので、これはしょうがないことです。
加えて、日本人は「人が自分をどう見ているか」を異常に気にします。あえて自分を殺して生きている人が多いのは、心理的に村八分になりたくないからです。明治以前の村社会では、追い出されれば食べるものも無くなります。
他人の自分に対する評価が、自分の本来のあるべき姿より優先されるような社会だったのは、致し方ないことでした。
こういう背景が、年齢へのこだわり、見た目や若見えへの執着につながったと思います。
日本人は戦後、二度と世界に立ち向かわないよう、徹底した社会工学 Socia engineeringに合い、マスゴミと学校教育により愚民化されてきました。
その一つが見た目や年齢への執着です。これは外国人が非常に不思議がる、「ここが変だよ日本人」の一つです。
若く見えることを大喜びしているのは、ある意味外人から見ると、中身が幼いことを喜んでいるのと同じです。もちろん海外もアンチエイジングや美容整形が盛んですが、日本人は少し特殊なのです。
亡くなった叔母が言っていました。「昔の人は大人っぽかったわねぇ。30代でも今の30代より全然大人っぽかったわよ」
確かに、いくつになっても幼い人が増えました。故三輪明宏さんも言ってましたが、精神的には、今の60代は昔の30代、今の80代は昔の40代だそうです。半分に割ればいいらしいです(笑)。長寿化なのでしょうがない、というニュアンスでしたが。
幼くなった原因は間違いなく愚民化です。本の代わりにテレビ或いは漫画しか読まない、その後はネットしか見ない人が増えました。当ブログのモットーは「テレビを消そう、新聞も閉じよう、命が大切ならワクチンを打たないで」ですが、追加するならば、
昔の人が書いた良い本を読もう、自分が生まれてきた目的を考えよう、
自分の中に確固とした柱を作ろう
です。
あの世で「一体自分は何してたのだろう」と後悔したくないですから。



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