日本心霊学の名著、霊言記録「小櫻姫物語」。人は修行のためにこの生まれてくるが、終わってあの世に帰ると何が待っている?(2025年9月13日公開)
- chibamai
- 9月13日
- 読了時間: 4分
更新日:9月15日

浅野和三郎(1874-1937)氏は、日本における心霊学の父と呼ばれます。
当方は同氏著の本を持っています↓

これは1848年ごろに始まったヨーロッパのスピリチュアリズムを紹介した本ですが、日本独自の心霊学といえば浅野氏の、知る人ぞ知る「小櫻姫物語」が入ります。
小櫻姫神社は、神奈川県三浦市に今も実在します。戦国時代に相模三浦氏という一族がいましたが、その最後の当主、三浦義意三浦義意 - Wikipedia の妻が小櫻姫となります。
姫は三浦氏や夫が戦いで滅んだあとも、地元の岬の近くに隠れ住み、若くして病死しました。地元民は辛抱強くて善良な彼女をたたえて、小さな神社をまつりました。
昭和12年(1937年)、浅野和三郎が亡くなる前になりますが、同氏は霊能者であるT夫人(小櫻姫が守護霊である)に、姫を降霊させてしゃべってもらいました。欧米にもたくさんある、いわゆる霊界通信です。この記録が「小櫻姫物語」で、キンドル読み放題で読めます。
我々は人生が終わると魂や霊体だけとなり、霊界に帰ります。亡くなった親類友人が出迎えてくれたり、あの世の親しい仲間(グループソウル)と再会を果たしますが、小櫻姫はどのような体験があったのでしょうか。本から抜粋していきます。
霊界に帰ると、生きていた時の恨みやつらみ、強い愛着などがある場合は、それらを捨てるための修行が始まる。小櫻姫は、三浦氏を滅ぼした北条一族に強いうらみがあったので、精神統一(一種の禅)を長い間行った。→(引用)こちらの世界へ引き移ってからの私どもの第一の修行は、なるべく早く醜い地上の執着から離れ、なるべく速やかに役にも立たぬ現世の記憶から遠ざかることでございます。
霊界では時間の感覚がない →私どもの境涯には殆ど過去・現在・未来の差別はないのでございまして。
生きていた時の記憶はやがて忘れていく→すべては皆夢のようで、今更その当時を想い出してみたところで何の興味も起こりません。: こちらから現世を振り返ると、それは暗い、せせこましい、空虚な世界・・・
生きている間、人は死を恐れるが → 私どもから観れば、それは一匹の蛾が繭を破って抜け出るのにも類した、格別不思議とも無気味とも思われない、自然の減少に過ぎませぬ。:(死ぬときは)うたたねの気持ち...
霊界に帰ると、守護霊とは違う指導霊がつき、こまごまと世話をしてくれる → その神さまというのは、大国主(おおくにぬし)の神様のお指示を受けて、新しい帰幽者(霊界に帰ってきた人)の世話をして下さる方なのでございます。
その指導霊は小櫻姫にこう言った → いっときも早く役にも立たぬ現世の執着から離れるよう、しっかりと修行をして貰いますぞ!執着が残っている限り何ごとも駄目じゃ・・・:他人を恨むことは何より罪深い仕業であるから許すことはできぬ。
霊界ではその人の魂の進化度によって、明るい環境か暗い環境か、に分かれる →暗いも明るいも、すべてその人の器量次第、心の明るいものは何処にいても明るく、心の暗いものは何処へ行っても暗い・・・
現世での家族であっても、霊界で一緒に住むことはめったにない → (指導霊の言)親子夫婦の間柄でも、一所には決して住むものではない。その天分なり行いなりが各自違うからである。ただし逢おうと思えば差支えない限りいつでも逢える。
霊界でいつまでも俗界の感情にとらわれていると、進化できない、場合によっては永遠に暗い次元にとどまる → こちらの住人として何より慎まねばならぬは、怨み、そねみ、又もろもろの欲望・・・そういったものに心を奪われるが最後、つまりは幽界の亡者として、いつまで経っても浮かぶ瀬はないことになる。
こちらの世界で何よりも大切な修行というのは精神の統一で、精神統一以外には殆ど何もないといえる。
(指導霊によると)私(小櫻姫)の岩屋での(精神統一)修行は現世の年数にして、ざっと20年余りだったとのことでございます。
現世で優れた人と称賛された人でも、必ずしも霊界での評価はそうとは限らない → あんな名僧知識と謳われた方がまだこんな薄暗い境涯(低次元)にいるのかしら、(と思うことがある)
霊界で、ペットと再会することは可能。小櫻姫は愛馬と再会を果たした。
霊界から、小櫻姫は母の臨終を観察した。現世の周りの者は皆泣いていたが、霊界の家族・親類・友人は喜んでいたー仲間が帰ってくるのだから。
ーーー
とりあえず抜粋はここら辺で止めておきます。どうぞキンドルでお読みください。
本の後半で印象に残ったのは、人類を生んだのは「竜神」という強力な自然霊であるということでした。そして神社にまつられることになった小櫻姫が、本当にお参りする人達の願いを聞き、実現してあげるよう努力し高次元の神様にかけあう、という下りでした。
願いや祈りは無駄なものではないのです。
いずれにしても、霊界で精神統一する修行が待っているなら、生きているうちに怒りや怨みそねみ、曲がった執着心なぞは捨てたほうがよさそうなのですが・・・なかなかそれができないのが現世の人間、ということなのでしょうか。



コメント